人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

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休日に精神科に行った。

10年前からちょくちょく精神科には行っているのだが、久々に薬を服用してしまった。(客観的に見て不安神経症的傾向が異常なレベルに達しており、日常生活にかなり支障が出ていたので)

あまり薬に頼りたくないというのが正直なところだが、このまま放置しても更に悪い方向にしか進まなそうだったので服用は避けられないと判断した。実害が出るレベルの異常から、そこまで異常ではない程度まで矯正するために。

薬の効果がすぐに出たのかわからないが、先週まであった希死念慮は少し消えている。

 

…まぁ希死念慮が薄まっても、人生に意味はないという気持ちに変わりはないのだが、今すぐ死にたいとかいう気分でもない。ただ淡々と生を延長するというだけ。

 

相変わらず仕事は憂鬱モードなのだけれども。

医学部中退YouTuber "逆精神病院" について

今日は「逆精神病院」というYouTuberについて書こうと思う。

(正確には逆精神病院の "ダニエル" という人物が演じているチャンネルなのだが、わかりやすいのでここでは彼のこともまとめて逆精神病院と呼ぶことにする)

 

このYouTuberなのだが、普通にYouTubeを見ている人はまず探し出すことはないであろうYouTuberだ。

なぜなら、彼は "学歴界隈" あるいは"評論界隈" という、極めてニッチなジャンルに関連した動画をメインに発信しているからである。

 

かく言う自分も、普段はこうした学歴系YouTuber界隈の動画はあまり見るわけではない。

ではどうやって彼を見つけたかというと、発見当時ハマっていたとある社会不適合YouTuber(黒髪ピピピという)の動画を見ようと思い、YouTubeで検索していたら、黒髪ピピピ本人でなく逆精神病院の動画がヒットしたのだった。

誰だろう?と思って興味本位で見に行ったところ、なんと彼は駒場東邦中高卒で医科歯科大を中退した人物らしい。

駒場東邦は僕の通っていた中高(筑駒)の隣であり、経歴のいびつさも自分に似た部分がある。こんな人もいるのか、YouTubeは色んな人がいておもしろいなと。

その時点でも、彼の存在は頭の片隅に確実に刻み込まれたものだった。

 

…その後しばらくは彼のことは忘れていたのだが。

先々月くらいに、自分のYouTubeチャンネルで毎日何かのテーマについて喋って投稿するという(ほとんど需要のない)行動をとっていた時期があり、その時に数ある動画の1つとして、彼について言及する動画を投稿した。

 

するとなんと4分後くらいに彼から反応があったのだ(チャンネル登録通知に彼のアイコンが出てきた)

彼はその後何回か僕に言及する動画を上げていた模様で、さらに彼の所属する「カオスフォレスト」という評論グループの代表らしき人からも、頻繁に僕の動画にコメントが来るようになった。

 

正直なところ、最初は「パワー系の人に触れてしまったな」と感じて少し後悔した。

だが、普段彼がshorts動画で見せている "パワー系" は単に演じているだけであり、素の彼は(少なくとも表面上は)至って常識的な人物であるようだ。

www.youtube.com

数ある彼の動画の中でも、この動画のタイトルが謎に気に入っている

この動画などは作業用ラジオにして聞いてしまっていた。

カオスフォレストについて

先ほど挙げた動画などもそうだが、逆精神病院の動画タイトルはなかなかキャッチーなものもある。そこから経由して、いくつか逆精神病院チャンネル内で、カオスフォレスト代表と対談しているタイプの動画も見てみた。

彼らは幅広い知識があり、頭の回転が速いし、一部の側面において鋭い洞察をするのだが、それと同時にかなり思い込みの強い側面があるとも感じた。

(一例を挙げると、彼らは僕が大企業に所属していると思っているみたいなのだが、中小ベンチャー所属です。仕事も出来ません)

生放送のアーカイブなども断片的に見たのだが、Twitterにいる別人物を僕と同一人物だと思い込んでいたり等、仮説で留めておくべき部分を、「100%〇〇だ」として話を進めていることが多いと思った。

また僕のチャンネルは、逆精神病院パロディ動画を除いては、逆精神病院を狙い撃ちで真似したチャンネルのつもりはなくて、一般的な(スーツ背広/遠藤チャンネルのような)物申す系のフォーマットに沿ったつもりである。でも確かにアスペルグがコメントしていたように、客観的に見ても逆精神病院チャンネルと自分のチャンネルは少し似ていたのかもしれない

こんな感じで、彼らは恐らく自意識過剰な側面があると思う。僕もそうなので、何となく共感はするのだが。

"天才であるがなかなか世間から評価されない自分たち" を、たまたま(経歴だけは無駄に立派な)自分が言及したので、そこから色々意味付けや勘ぐりをしている可能性があるのかもしれない。そう思った。

まとめ

やはり学歴界隈や言論界隈はニッチであり、ともすると閉じたコンテンツになりがちだなと感じてしまっているので、自分自身はそこまで深入りするつもりはなかったりする。

だがしかし、リアルでの繋がりこそないが、決して赤の他人とは言えない逆精神病院のダニエル君の動向は、これからも定期的に追っていきたいと思った。

病的な自意識

自分は他人より自意識過剰な人間だと思っているのだが、しかし他人もまた自分が想像するより自意識過剰な側面がある、と最近改めて思う。

特定の人間を対象にした称賛や批判が、発言者の想定より多くの人間に刺さっている。

前者は問題ないどころかメリットに働いたりするが、後者はよくない。自分が気づかないうちに、「この人は自分だけを対象に批判をしている」と勝手に思い込まれたりしているケースがある(実際、過去にこうした感じでTwitterをブロックされたり等した)

極端な例を挙げると、京アニ事件の青葉のような強い思い込みをする統合失調症的な人間は一定割合で存在する。そして、別に統合失調症の人間ではなくても、特定のケースにおいてそれに近い自意識過剰さや繊細さを持っている場合がある。

そうした他人の自意識や繊細さを推察せず、あるいは自分だけがそのナイーブさを持っていると信じて疑わずに傍若無人に振る舞っていると、後に痛い目を見るのだと思う。

 

話は変わるが、エゴサーチという単語が使われ始めたのは7~8年前ごろと記憶している。"SNSの検索欄に自分の名前を入れてサーチする" 行為は一歩引いてみたら異常な行為であり、しかし一方でこの単語が平然と使われることはある種それを普通の行為として捉えているということであり、人間が水面下で密かに抱いていた自意識過剰さを「他の人も持っているのか」と共有され始めたことを象徴する単語だな…と思ったものだった。

インターネットで顔を出して活動している人間などは特にその自意識過剰さの傾向が強いと思う。

(どうでもいいが、2010年頃にTwittterでハチPについて呟いたら数分後に本人に引用RTされたことがあった。彼はボカロで活動していた時代にかなり頻繁にエゴサーチしていた模様で、本人もその頃を「蛸壺化した部屋で自意識に淫する日々」と振り返っていて、相当の自意識過剰な人間だったのだと思う。)

 

・明日仕事なのに寢れません。今4時半です。おしまいです

・自分の幸福度、日本人の中で下位1割くらいに入る自信がある。一時期よりはだいぶマシなんだけど、プライベートにおける人間関係がほぼ皆無なのと、聴覚の過敏が病的なレベルなせい。

昔はこんなんではなかったのになあ…。

・中山泰山垢消ししたらしいけどもう復活しないのかなーとか脳内で思ってた数10秒後に、いきなりTLのおすすめに中山泰山の画像勝手に使った他人のアカウント出てきたんだが。どんな天文学的確率だよ。


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てか誰だよこいつ。プロフ飛んだらutl1だし

懺悔

・今の自分は非常にいびつな生き方をしてしまっている。感覚が世間から病的に乖離してしまっている。

いったい俺は生まれてきて良かったのだろうかという気分に定期的に陥る。

・インターネットで認知を広げると幸福度が下がってしまうのではないか。多くの人間の評定や批評に晒されるリスクに、人間の感覚はついて行っているだろうか。

脆く薄い認知などを広げようとせず、ローカルなコミュニティに埋没し、その中に人間としてのプリミティブな幸せを追求するべきではなかっただろうか。

・ブログを書いていると、たまに具体名を挙げて強めの言葉で皮肉を言ってしまいがちになるのだが、別に読んでいる人を積極的に不快にしたいわけではないので、そういうのは意識的に減らしたいと思った(過去記事はほぼ見てる人がおらず掃き溜めのような状態なのでその傾向が強い)。

他人が面白がっているが自分がつまらないと思ったものを、わざわざ言葉に出して「つまらない」と言ってしまう癖が昔から抜けない(まぁここは極めて個人的なブログなのである程度それをしてもいいかもしれないが)

死などについて言及する場合も、たまたま記事を目にした人を自分の想像以上に不快にしている可能性があるので、内的でネガティブな臭いはあまり出さず無機的に書いたほうがいいかもしれない。

老化

・最近は特に、自分が老いたときのことや、人間がいつか必ず死ぬことについて考えている時間が多い。

今を楽しむことに集中できていない。

・最近、論理性を追求しすぎることへの抵抗が強まってしまっている。

自分の人生の目的は創作であり、論理的な人間になることではないから。

論理性は人間の数ある能力のうちの1つにすぎず、論理性に長けていることが即ち総合的に優れた人間である、といった態度は傲慢である。

 

・「すごいエンジニア」「つよいエンジニア」になりたいと思わないんだよなあ。

個人でアプリケーション作る時に効率良い開発ノウハウを持っておきたい、的なモチベーションでしか触る気にならない(あとは同世代の似たような人達が話題にしてると多少興味が湧くという程度)。

あくまで保険的な意味合いが強い。人生の目的ではない。

ツイッターでイキってるエンジニア見ててもこういう人間になりたいなあと思わないです。。

ああいうのになるんだったらコンビニバイトしてるほうが幾らかまし

・自分は他人との競争が好きだし数字が好きで、もうそれがないと何をする気力もわかない人間なので、そういうものとして生きていきます(その心理を動機に行動すると大きく本質を見失う場面以外では)。

・自動化や機械化は神がしてくれるものではなく、根幹のロジックは全て人間が作っているもの、という意識を持っていないとまずい。それらに過剰な期待を抱いてしまうので。