verbalisierung

ボルテ空間別館。基本的にボルテについて理屈っぽく書き連ねる。たまにボルテに関係ない筆者の個人的思想も書く。

逃げるような日々

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最近は専ら逃げるような日々を送っている。

 

日常や仕事に充実感を感じないのは、基本的なセロトニンの量が平均的な人間に比べて極端に少ないからだろう。

発達障害ADHDは生きているだけでストレスを感じる」と言われるが、まさしくそれだ。

日本人の7割ほどは「幸せ」あるいは「そこそこ幸せ」と回答しているというアンケート調査結果があるようだが、常に身の回りに敵がいるかのような危機感と緊張の中で生きている自分としては、にわかに信じがたい。

(ボルテをしている時間は、自分にとっての数少ない幸せな時間である。)

 

先月初頭に危うく除籍になりかけた大学を漸く卒業し、そこからは今までより幸せな日々を送ることが出来るはずだ…と心の何処かで期待していたが。

やはり病的な精神性が変わるわけではないので、仕事で毎日鬱病になっている。人間と本当に最低限のコミュニケーションはとっている分、大学時代よりはマシという見方も出来るかもしれないが、その分この先どんどん若さを失っていく。

 

遠く貧しい東南アジアやアフリカの人々を先進国の国民がわざわざ人生を賭して助けに行かないのと同じように、正常な精神の人間が献身的に鬱病の人間を助けることも、上っ面の行動以外ではとることもない。

そして、多くの東南アジアやアフリカの人々は、貧しいまま一生を終える。

同じく、いつか救われると信じ、鬱病で病的な精神性のまま日々を消費しても、待っているのは老いと死のみであると感じる。

幸せになりたいのなら自分から助かりに行くしかない。

 

 

最近ハマっている柊キライの "ゼウス" という曲。

自分に重なる部分が多くて心に染みる歌詞。

 

 

このまま何も成し遂げられず、苦しいまま若さを消費し終えた暁には、この歌のような結末を迎える予感がしてならない。