何とは言わないが
「〇〇上達法」みたいなの発信よく見かけるけど、基本的には全員が全員上達してたらコモディティ化してその分野での上達の価値というのは(〇〇上達法が流布する前と比べて)下がるので、一番得する期待値が高いのは「〇〇上達法」を発信している本人である、という視点は忘れてはいけない気がする。
だからそういうのに依存しすぎずに考えていかないといけないよねという。
感覚と論理
小学校時代は完全に感覚派の人間だった。論理は遠回りしている感じがした。
今は感覚で取り組むべきところで論理が邪魔して感覚のままに出来ていない気がする。
最終的には両方を使い分けられるのがいいとは思うが。
しんどい
最近、生きているだけで様々な肉体的/精神的な障害が身に降り掛かってくる。
このまま社会を生き抜いていける気がしない…。
器用貧乏人の本懐
「趣味として絵がちょっと描けて周りから一目置かれるけど、絵師単体で見た時の評価は特に高いわけではないエンジニア」みたいな人たまに見かけるけど、どうなんだろう。
これのエンジニアを音ゲーマーにした時もしかり。
やりたいことや満足度の最適点を実現できているのか、それとも単にどっちつかずで夢を見るだけで終わってるのか。
思考力とモチベーション
思考力はモチベーションに左右される部分も案外大きかったりする。
用いるべき部分には精神論を用いることも結構大事かもしれない。
(というのは単純すぎる結論だからもう少し議論を深める余地はある)
何とは言わないが
「〇〇上達法」みたいなの発信よく見かけるけど、基本的には全員が全員上達してたらコモディティ化してその分野での上達の価値というのは(〇〇上達法が流布する前と比べて)下がるので、一番得する期待値が高いのは「〇〇上達法」を発信している本人である、という視点は忘れてはいけない気がする。
だからそういうのに依存しすぎずに考えていかないといけないよねという。