人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

雑多な思考メモ 2021/07/02

 

これをどうにか音ゲーに応用できないかな。

境遇などは違うが、行動とか心理とかは一時期のひどかった頃の俺に似てる。

・「人生において無駄なことに時間を割きたくないからこの先の最適な生き方ルートが見つかるまでは意思決定や行動をしたくない」「100点満点の回答を出してみんなをびっくりさせたい」といった類の自閉症的な拘り思考は、現実世界を生きる上で死ぬほどリスクが高い思考になりうる。

ということを意識しておかないとね…。

ADHDマン、夜中には無限に時間があるかのような錯覚をやらかして犬の道の調査とネットサーフィンをしがち。早く寝ないと。

・大学受験や中学受験の時に死ぬほど頭使って数学の問題解いてた時のようなパフォーマンスというか本気度を発揮する頻度がかなり下がってるの、人生における多大な損失。

(その思考パフォーマンスが勉強において発揮できても、他の分野で同様に思考パフォーマンス発揮できるかどうかは別だし、また要求される思考力の"タイプ"も別であるとも思うけど。)

自分の人生を振り返ると、他人との競争が存在する時や、その結果が数値で証明される時にしかそうした思考のモチベーションを発揮できてこなかったような気がする。

・シャドバも音ゲーもモンエナも、資本主義社会における行動を阻害する一時の快楽のように思えてしまうな。

徒然草の現代語訳でも読みたい気分。今俺が考えているような雑多な事柄や過去にこのブログでも書いた人生全般に関する事柄に関して、兼好法師が色々言ってくれてたりもする。(「大事を思ひ立たん人は」「蟻の如くに集まりて」「養ひ飼う物には」「ある者、子を法師になして」etc…)

こう言うのもアレだが、古典を原文で読む意味はほとんど感じない。翻訳作業が本質を掴むための邪魔になる。(とか言ってると外国語の文献全般を原文で読むことも否定することになりそうだけど、それ以上は考えない)

あとこういう1000年2000年と人間に通底する普遍的な法則についての文献を読みたいなら、日本のものより外国で風雪を耐え抜いたものを参照した方がいいかもしれない。(かといって聖書とか宗教的なものは読む気にならないが…)

 

・ここ数年の学問への探究心の低下は、自分の怠惰さも一要因かもしれないが、それ以上に人生の無意味さを悟ったことによる虚脱が大きい。

「どうせ死ぬのになぜそこまでして知識を追い求め学問を究めようとする?自分が学問を究めれば、一般人と違った崇高な存在になれるという幻想でも抱いているのか?」というような思いが生じる。

食欲や苦痛の回避欲求とは違って、知的探究心とかは自然な欲求というよりはそれを身に着けた先の承認欲的別の報酬が前提にある気がする。

・タコさんウィンナーやウサギりんごを見た時に、「かわいいからとっておこう」でなく「食べてしまおう」という気持ちになるのはなんか怖い気がする。