人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

他人の幸せ・ニートの幸せ

f:id:Verbalisierung:20211206004607p:plain

人は表面から見ただけだと幸せか判別できないパターンもそこそこ多い。

不幸度がひどく、視野狭窄に陥っている人は、「この容姿や才能に恵まれている人間は、俺より全てが優遇されており、幸せに違いない」と他人を無条件に羨んだりする。うつ病の人によく見られる極端な一般化)

その最大の反例としては三浦春馬が挙げられるだろう。(平均的にはああいう立場の人の方が、貧困に陥っている人間よりも幸福度は高いとは思うが)

ひきこもりニートの幸福度

話は変わるが、いわゆるひきこもりニートの人の平均的な幸福度っていかほどなんだろうか。

ひきこもりニートの代表的サンプルとしては「やるなら軍師」が挙げられる。彼らの精神状態が健全な気はしないだろう。

 

外部からの強制力がないため健康・栄養状態も不健全になり、ずっと家にいるから音に敏感になり、外出に怯えるようになり、内に大きなストレスを溜めている。そういったひきこもりニートも少なくないんじゃないだろうか。

 

リモートワークで家に引きこもっている自分も、傍から見た状態は彼らと大した違いは無いのかもしれないが…。

ただ、2留して除籍寸前で就職できるかもわからなかった去年の自分からすると、今の自分は奇跡的にギリギリの状態で生き永らえているなぁとふと思った。

 

これからどう生きるか

今はまだそれを考えるような時期でもないのだが、30代になると恐らく「結婚しなければいけない」「なぜ結婚できなかったのか」的なプレッシャーに深刻に苛まれ始めるのだと思う。

ただ自分は良い意味でも悪い意味でも変わった人間(孤立した人間)であるという自己イメージを10代から抱えており、30代40代になってもそれを抱え続ける可能性がある。

(変わった人間であるが故の、過去の大きな成功と引き換えに、今はその反動で大きめの苦痛を抱えてしまっている気がする。具体的には「10代後半~20代で平均的な人間が味わうであろう幸せを一切味わえなかったことによる拗らせ」のような感情が心に残留しており、それを取り戻すまでは大人になりきれない、といったもの)

「恋愛など自分には全くいらない」というスタンスを取る気もないのだが…。