人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

病的な自意識

自分は他人より自意識過剰な人間だと思っているのだが、しかし他人もまた自分が想像するより自意識過剰な側面がある、と最近改めて思う。

特定の人間を対象にした称賛や批判が、発言者の想定より多くの人間に刺さっている。

前者は問題ないどころかメリットに働いたりするが、後者はよくない。自分が気づかないうちに、「この人は自分だけを対象に批判をしている」と勝手に思い込まれたりしているケースがある(実際、過去にこうした感じでTwitterをブロックされたり等した)

極端な例を挙げると、京アニ事件の青葉のような強い思い込みをする統合失調症的な人間は一定割合で存在する。そして、別に統合失調症の人間ではなくても、特定のケースにおいてそれに近い自意識過剰さや繊細さを持っている場合がある。

そうした他人の自意識や繊細さを推察せず、あるいは自分だけがそのナイーブさを持っていると信じて疑わずに傍若無人に振る舞っていると、後に痛い目を見るのだと思う。

 

話は変わるが、エゴサーチという単語が使われ始めたのは7~8年前ごろと記憶している。"SNSの検索欄に自分の名前を入れてサーチする" 行為は一歩引いてみたら異常な行為であり、しかし一方でこの単語が平然と使われることはある種それを普通の行為として捉えているということであり、人間が水面下で密かに抱いていた自意識過剰さを「他の人も持っているのか」と共有され始めたことを象徴する単語だな…と思ったものだった。

インターネットで顔を出して活動している人間などは特にその自意識過剰さの傾向が強いと思う。

(どうでもいいが、2010年頃にTwittterでハチPについて呟いたら数分後に本人に引用RTされたことがあった。彼はボカロで活動していた時代にかなり頻繁にエゴサーチしていた模様で、本人もその頃を「蛸壺化した部屋で自意識に淫する日々」と振り返っていて、相当の自意識過剰な人間だったのだと思う。)