人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

孤独な人間はニートに向いていない

 

自分はこれまで定期的に「ニート志望」的な趣旨の発言をしてきたのだが、一方で孤独な人間ほどニートに向いていない人間もいないと思う。

 

世間一般の人が "ニート" と言われて想像するのが、物静かで孤独なニートなのか、はたまた仲間が沢山いてヘラヘラ笑いながら無職をしている人間なのかわからないが、少なくとも今の自分は前者を想像する。

(中学時代に書いていたブログを掘り起こしてみると、朗らかな表情をしながら「ニートになりたい」だの何だの書いている自分がそこにはいたが。)

 

phaさんは「高学歴ニート」で注目を集め、質素ながら楽しそうな暮らしぶりをしているように表面的には感じられる。

しかし彼は決して孤独ではなく、京大で仲間とともに過ごしたシェアハウス時代の体験をベースとし、ニートをしていたのだ。

そしてシェアハウス暮らしに疲れを覚えた彼は、今は一人で(猫と)暮らしている様子だ。

20代~30代前半頃の彼のブログ記事と今の記事を比較すると、昔の方がニート暮らしの楽しさが読み取れた。今は彼の口癖「だるい」オーラをまとった記事、疲れや暗さを匂わせる記事が多いように思う。

(そしてこれは失礼にあたるかもしれないが、時々彼はお金にあまり余裕がないのを仄めかしたり、30代半ば頃の記事では「もし働いていたら…」的な発言もチラホラ見られたりする。言わずもがな、ニートには社会人とは別ベクトルの、そうした苦痛が伴うのだ。)

 

少し前に話題になった山奥ニートも、孤独ではない。

彼らが共同生活をしているのは金銭的に支え合う目的もあるだろうが、孤独を回避することも大きな目的だと思う。

 

孤独な人間がニートになると、その先に待っているのは精神的苦痛、肉体的苦痛、そして最後には破滅である、と今は考える。

 

潜在的ニート化願望を持っている人は、世間との繋がりを持つのが苦手な人も多いのではないかと思う。

自分が孤独であることを自覚している人間ほど、安易に "ニートになりたい" 的願望を持つ危険性について考えてみてもよいのではないだろうか。