人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

2021年4月 思考メモと日記

何とは言わないが

「〇〇上達法」みたいなの発信よく見かけるけど、基本的には全員が全員上達してたらコモディティ化してその分野での上達の価値というのは(〇〇上達法が流布する前と比べて)下がるので、一番得する期待値が高いのは「〇〇上達法」を発信している本人である、という視点は忘れてはいけない気がする。

 

だからそういうのに依存しすぎずに考えていかないといけないよねという。

感覚と論理

小学校時代は完全に感覚派の人間だった。論理は遠回りしている感じがした。

今は感覚で取り組むべきところで論理が邪魔して感覚のままに出来ていない気がする。

最終的には両方を使い分けられるのがいいとは思うが。

しんどい

最近、生きているだけで様々な肉体的/精神的な障害が身に降り掛かってくる。

このまま社会を生き抜いていける気がしない…。

器用貧乏人の本懐

「趣味として絵がちょっと描けて周りから一目置かれるけど、絵師単体で見た時の評価は特に高いわけではないエンジニア」みたいな人たまに見かけるけど、どうなんだろう。

これのエンジニアを音ゲーマーにした時もしかり。

やりたいことや満足度の最適点を実現できているのか、それとも単にどっちつかずで夢を見るだけで終わってるのか。

思考力とモチベーション

思考力はモチベーションに左右される部分も案外大きかったりする。

用いるべき部分には精神論を用いることも結構大事かもしれない。

(というのは単純すぎる結論だからもう少し議論を深める余地はある)

何とは言わないが

「〇〇上達法」みたいなの発信よく見かけるけど、基本的には全員が全員上達してたらコモディティ化してその分野での上達の価値というのは(〇〇上達法が流布する前と比べて)下がるので、一番得する期待値が高いのは「〇〇上達法」を発信している本人である、という視点は忘れてはいけない気がする。

 

だからそういうのに依存しすぎずに考えていかないといけないよねという。

逃げるような日々

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最近は専ら逃げるような日々を送っている。

 

日常や仕事に充実感を感じないのは、基本的なセロトニンの量が平均的な人間に比べて極端に少ないからだろう。

発達障害ADHDは生きているだけでストレスを感じる」と言われるが、まさしくそれだ。

日本人の7割ほどは「幸せ」あるいは「そこそこ幸せ」と回答しているというアンケート調査結果があるようだが、常に身の回りに敵がいるかのような危機感と緊張の中で生きている自分としては、にわかに信じがたい。

(ボルテをしている時間は、自分にとっての数少ない幸せな時間である。)

 

先月初頭に危うく除籍になりかけた大学を漸く卒業し、そこからは今までより幸せな日々を送ることが出来るはずだ…と心の何処かで期待していたが。

やはり病的な精神性が変わるわけではないので、仕事で毎日鬱病になっている。人間と本当に最低限のコミュニケーションはとっている分、大学時代よりはマシという見方も出来るかもしれないが、その分この先どんどん若さを失っていく。

 

遠く貧しい東南アジアやアフリカの人々を先進国の国民がわざわざ人生を賭して助けに行かないのと同じように、正常な精神の人間が献身的に鬱病の人間を助けることも、上っ面の行動以外ではとることもない。

そして、多くの東南アジアやアフリカの人々は、貧しいまま一生を終える。

同じく、いつか救われると信じ、鬱病で病的な精神性のまま日々を消費しても、待っているのは老いと死のみであると感じる。

幸せになりたいのなら自分から助かりに行くしかない。

 

 

最近ハマっている柊キライの "ゼウス" という曲。

自分に重なる部分が多くて心に染みる歌詞。

 

 

このまま何も成し遂げられず、苦しいまま若さを消費し終えた暁には、この歌のような結末を迎える予感がしてならない。