・全ての物事は論理や物理法則などから成り立つが(精神や感情を生理学的反応まで分解する前提)、人間それ自体は肉体的制約や物理的制約によって完璧に論理的な存在には決してなれないしそこからは程遠い存在なため、自らの論理性の限界を知り、妥協として"感覚に頼る"ことが必要なケースもそこそこ多い。
昔のワイは完全に感覚で何事も処理する人間だったのだが、数年前からは逆に凝り固まったぎこちない論理性に寄ってしまって、本来生きていく中で用いるべき感覚的な部分が鈍ってしまった。
・最近あれなんだよな。「今の自分がやっていることが数年後に無駄になる」みたいなことについて色々考えてしまう。仕事でシコシコとコードを書くスキルだったり、ネットでなにか作ったりとか。(どんなものでも部分的にはムダになるだろうけど、程度のお話。その大部分が、数年後や10年後に必要なくなるだろう、みたいな仕事や創作をしたくないという話。)
機械に代替されない唯一のスキルが「交渉」スキルであると、個人的に好きな作家である瀧本哲史さんは言っているのだが。
・鬱状態の脳だと、とにかく物事に優先順位を立ててこなすことが出来なくなる。自分の気力ベースでしか物事をこなすことが出来なくなる。
ADHDモードの脳も優先順位付けは出来てなかったりするケースは結構あるが、それでも特定分野で深く鋭い成果を出すことが出来るため、総量で見ると優先順位付けできてる時と別軸で良い成果を出せてることもままある。という点で、鬱状態とは違う。
・以前から90年代の曲が好きなのですが、最近またそういった曲をよく聴いてます。スピッツ、槇原敬之、小田和正、ZONEなど。最近の流行り曲は米津玄師以外微妙ですね。夜がなんたらとか色々。
・音ゲーしてる人間、「自分は〇〇が出来るんだぜ」をアピールすることが全ての根源にある場合が多い。そういう人間が作る創作物は大体響いてこない。技術アピールしたいだけなんだなというのが臭ってくるから。(一部例外はいるが、Twitterの凡百はそうではない)
音ゲーに限らずTwitterのbioに資格立て並べてるタイプの人間は他者から与えられた枠組みや問題の中でしかアイデンティティを確立できてない点で脆い。往々にしてどうやってその資格が出来たか、どういう人間の意図や過程でその資格が出来たのかの実体的な想像が出来ておらず、あたかも神から与えられたかのように当然の原理として資格や称号が存在してるかのような勘違いを心のどこかでしており、そこに本質的な頭の悪さが潜んでいる。
・他人の成功に自分を仮託することほど気持ちの悪いことはない。