物理的に耳が痛い
・聴覚過敏で耳栓をしすぎて、ここ最近耳が頻繁に痛む。
正常な精神を持たない者として生きるのは疲れる。
YouTube
YouTubeなんかに動画を上げて自分は何やってんだろうと思ってしまった。他人を題材にした動画なんかで自分自身に興味が持たれる訳もなく、それで再生が増えても虚しいだけだなと。うーん。(確率は高くないが職場バレリスクもあるし…)
長期的に価値がある、作る意味があるものを作らないと…と思う。流行りに乗った没個性なvlogとかで一過性の注目を集めるのではなく。
まぁ、難しいんだけど。
視聴体験のズレ
あと、若者の感覚に自分の感覚をチューニング出来ていないというか。
基本的に自分はスマホでYouTubeを見ることがほぼ全く無い(99%はPCからの閲覧)のだが、逆に若者(に限らず他の世代も?)はスマホから閲覧するケースがほとんどだろう。
Tiktokもほぼほぼ全く見ない。
そのため「興味ないと判断した動画は開始数秒でスワイプする」習慣というか感覚が身についていない。
あと、動画見ながらコメント欄を確認しに行くというのも皆無。
友達も無く家に閉じこもってPCに向かってばかりいると、こうした部分で大部分の人々から乖離してしまい、かつその乖離にあまり自覚的でなくなるというのがよろしくないね。
サムネとタイトル
上とはちょっと別の現実的な話だが、サムネとタイトルに思考リソース割けていないのは普通に大問題。特にタイトル。
弱小チャンネルがのばそうと思ったらCTR15%欲しいとのことだったが、きびしい。。
ニコニコ動画時代はサムネとタイトルはかなり意識してたと思うのだが、YouTubeに動画投稿し始めてから全然意識できてないな。。というか感覚が違ってくる。YouTubeの自分の動画となると、客観視が出来ていない。
現状の自分の動画のタイトルは、ドレッシングをかけないサラダか、はたまたタレのないうな重のような感じがする(喩えが下手)。
あなたが知っているYouTuberが、あなたのクラスタではほぼ全てを占める
視聴者は「自分の好みのYouTuberをピックアップして視聴している」という感覚を持っているかもしれないが、その「好みのYouTuber」もリコメンド経由で知ることが大半で、選択肢はほぼほぼYouTubeのアルゴリズムで一方通行で提示されたものであるから、能動的に選択している部分は少ないように思う。
換言すると、視聴者は「自分の好みのYouTuberを能動的にピックアップして視聴している」のではなく、「無意識のうちに自分の好みをYouTubeアルゴリズムと動画製作者によって受動的に定義させられている」のだと思う。
ここら辺はネットと対比されていたテレビと結局はそれほど変わらない部分であり、またタグ経由で動画を発掘するという体験があったニコ動と大きく違う部分だろう。
(…ちょっと文章が適当でニュアンスを正確に表現出来ていないので、もう少し整理したい)
おしごと
という感じで人生は疲れるが、明日の仕事もまた集中しないとな。好きな業務だと頑張れる。
また先月までのように興味対象外の業務にアサインされてしまったら、鬱病モードに戻ってしまいそうだが。
とにかく、物理的に耳が痛い(再)。