人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

12月思考雑記

個人の時代ではない

・クリエイターが飽和しているのと、消費者の飽きる速度が速くなっている。

クリエイターが一時的な消費物になっている。ここ最近のYouTubeなどで強く感じること…。

長期的に残る価値ってなんだろう、というのを意識しないといけない気がする。難しい問いなんだけどもね。この時代でも昔から根強く人気を獲得しているコンテンツを挙げて、それらを参考にしたりするといいと思う。

・「個人の時代」とは言うけれど、米津玄師はその真逆を行ったことで成功したし、そもそもあまりにも浅すぎるフレーズだと思う。

スケールするためには他人の力を借りることが必要になる。

・のびているYouTuberの多くは頭が良く(≠アカデミックな頭の良さ)、裏側では深い思考をしていると思うが、大衆は思考停止して見られるコンテンツを求めており、そういう大衆に適合したコンテンツを作るために別の自分を演じている、あるいは伝えるべき事柄を捨象している部分がある。

「思考停止して見られるコンテンツ」であることを諒解した上で見ている視聴者がいかほどか、自分が思考停止して見ている状態であることすら把握できないほど脳が死んでいる視聴者がいかほどか、その比率は自分の与り知るところではない。

そして注意するべきは、「大衆に適合したコンテンツを作るために別の自分を演じている、あるいは伝えるべき事柄を捨象する」といった行為に慣れてしまうあまり、自分の普段の思考がそういった態度に侵食されることである。(過去の自分がこうした状態に陥っていた)

・大衆から理解されないタイプの論や文章をこねくり回しを行い、暗に「私はお前達大衆より深い思考をしており、深い思考をしないお前たちの怠惰さは糾弾されるべきである」とでも言いたげなマウントを取るタイプの人間は時折いるが、彼らが「大衆に受け入れられるフォーマットにラッピングする」能力やセンスがないことを誤魔化したいがためにそうした(論理的な繋がりがあるのか、はたまた無秩序で衒学的なのかも不明瞭な)態度を取っているのかそうでないのか、またそうした心理をモチベーションとすることでしか思考や学問に没頭できないほどの脆い人格なのかそうでないのか、不明。

・深い思考やアカデミズムを極めるようとすることで「無思考な大衆と自分とでは魂の位が違う」とでも言わんばかりの人間に自分が懐疑的な理由は、彼らもまた無思考な大衆と同様に動物的で生理的な欲求を備えており、そしてその生理的欲求に貴賤など存在しないものであるから。

ボカロ

面白いインタビュー


変化しない夢

10年前20年前に見ていた夢をバカにする人生、何物にもなれなかった人生なんだろうなと思う。

幼さを後付で正当化するものではない人生の(夢を叶えるだけの)一貫性を持っていたり、あるいは自己分析が出来ており自分が一生持つであろう性質について理解していたら、そのような悪いタイプのブレを持たない。

そうした自分の一貫性のなさを「あの時抱いていた夢は、若さが故の青さだった」のような表現にすり替えて誤魔化すような人間にはなりたくないと思うのだが…。

 

こういうタイプのフィクションは嫌だ

・「登場人物の容姿が良いこと」の前提がないと感動が成立しないタイプの物語

・普遍的な死別ではなく、非現実的な死別によってお涙頂戴するタイプの物語

 


・タイトルとは関係ないが、左ききのエレンとかいう漫画はなんかおっさんの説教漫画という感じがするなあ。意識高い系ビジネスマンしか持ち上げてない印象。なんか作者がやたら目立ちたがってるし立ち振舞もキモい。まだ読んでないから、しっかり読んでから批評したいが(フェイスブックポリスとかいう漫画は死ぬほどわかりづらかった)。

こんな自分でも

今までの人生で、要所要所において、現実世界において気にかけてくれた人がいた。

それにも関わらず、一人で何か取り組もうとして、それに時間を割きたいからというだけの理由で、人間関係の大切さもわからず、煩わしさにばかりフォーカスしてしまって、自分から距離をとってしまう人生だった…。

このタイプの文才が自分にはないのだが、こうしたインモラルな魅力を纏いつつ刺してくるような文章を書いてみたくもある。

というかこの麻布警察署の中身だれだろう。bioに書いているYouTuberがネタなのかガチなのかわからんが…