昨日から今日にかけて、頭が異様に働かない。ブレインフォグ的な感覚。何もやる気が起こらない…。ごく簡単なタスクでさえ後回しにしてしまう。
"人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。"
軍魔を超えるMAD/PV製作者とか出てこないだろうと思える。
「トー横キッズもコスメティック田中の動画見てるの意外」という意見があったが、コスメティック田中の視聴者層は恐らくトー横キッズみたいなのも多いと思う。
「18-24歳くらいの、学校でのカーストは中-低位に位置し、そこまで頭も見た目も良くなく社会でのし上がっていくよう能力もなく無気力だが、不相応にプライドと視座は高く斜に構えている」タイプの人間。
・YouTubeの動画を見ること
・ゲームにハマること
・ソシャゲにハマること
は自分の人生をどんどん不利にしていく。
・世間一般で言われるようなイメージの起業、9割以上の人は「普通に会社員していた方がよかった」となるだけだと思うんだよな。
www.youtube.com
撮影地、がっつり高校の時毎日ランニングしてた場所で草。
当時は米津玄師の1stアルバム発売された頃で、それ聞きながらここ走ってたなぁ…懐かしい。
ある物の流行を生み出したいと思った時に、もちろんそれが備えている本質的価値は前提としてあるのだが、それ以上にメディアやプラットフォームによる力が大きいし、人間一人で大きな流行は生み出すことは出来ないため、いかに他者や他人の力を借りるか・利用するかの部分は非常に肝要となる。
努力の記名性
時代に名を残すことの意義について以前から度々考える。
「時代に名を残すことが自分の存在意義である」という考えをしているとすると、では時代に名を残すことが出来なかった人間は存在意義がないのか?と問うてしまう。
当然だがほとんどの人間は時代に名を馳せることもなく死んでいくのだが、その名もなき無数の人間の思考や努力が蓄積し、少しずつ時代が改善しき、人間は進歩している。
そうした人間の支えの上生きている部分があるのに、一部の人間だけが「時代に名を残したい」と考えて、ことさらそうした名を残すためのハック的行動に努力リソースを集中させてしまうのは傲慢ではないかと思う部分がある。
自己中な自分の中のこうした博愛主義的な部分が行動に枷を掛けている部分もあるのだが…
異常に交友関係が狭い自分であっても、今までの人生においてツイッターは新しい出会いを生み出すことが何度かあり、その意味ではいい影響があった。しかし、個人的にはそれを上回るデメリットがあまりに大きかった。
自らの創作を広める手段やビジネスの手段として利用している人などは「新しい出会いを生み出す」以外のメリットがとても大きくあるだろうが、自分はその可能性を活かせるほどの力を持てなかった人生だった。
・何かを成し遂げた人間の苦しみを全て背負って、俺が代わりに死んでやれなかったのかなぁ…ということを度々思う。
・学歴のこととか一切口に出さずに多大な功績を残したwowakaさんのことを考えると、エンタメやサブカルの世界に無関係な学歴を持ち込んで自分の名を売るための一助にしようと目論んでる人間の雑魚っぷりが際立つ。
・いくら体がだるくて人生のモチベが無いときでも、脳がちぎれるくらい考えたいし言語化したい。
が、それと同時に、何も考えずに無駄なことをする時間もしっかり持っておきたい。
インスタントネガティブ
「陰キャ」「コミュ障」「ぼっち」といった単純なカテゴライズに自分を当て嵌めて、何が自分の変えられない性質であるか、良くない性質であればどう改善するべきであるかも考えずに、思考停止するのはいかがなもんだろうかとも思う。
改善のための努力もなく思考停止し、その場の許しを請うために自分を卑下するような気色悪さを、延々と引き摺りつつ、苦しみながら生きていく羽目になるのでは。
近くにある等身大の幸せから目を背けて、遠くの方にある大きな幸せに向かって必死でもがき苦しんでいる、というのが今の自分の状態だと思う。
幼少期の自分は「等身大の幸せ」を味わいながら、人生の多くの時間を「大きな幸せ」に向かって努力することに割けていたし、夢を実現することも出来た。
今の自分はすべて、その真逆の状態になってしまっている。
承認の歪み
・クリエイター間の格差
・プラットフォーム間の格差
・人脈格差
30歳になるまでに死にたいなぁ。
孤独に強い人間
「自分は孤独に強い人間だ」というふうに思っていても、仕事や勉強に集中できずYouTube, TwitterなどのSNSを長時間見たり何度も開いたりするタイプの人間は、実のところは孤独に弱くて、孤独を紛らわすためにそうした行動をとっているケースが多いと思う。
消極的に孤独を選択しているだけの人間は弱い。孤独感に苛まれて自分が取り組むべきことに集中できないから、孤独に弱いことを認めて人とつながっている人間よりも不利になる。
・VRC、現実の肉体なしにVRが存在がしえないことに目を背けて幻想に逃避する欺瞞なのか、それともそれを自覚しながら緩やかに死に向かってるのか、どっちなのかわからんね。
・YOASOBIはかなり過大評価されてるんじゃないかなあと個人的に思ってしまう。。
"夜に駆ける"の歌詞の根底にある自殺肯定の世界観は意識の根底に希死念慮を抱えた令和の若者に受容されるのは自然だと思うし、自分も好きではある。
だが、そもそも元ネタはまったくの別作者による小説であって、YOASOBIが主導で構成してる世界観ではないのではないかと。。
少なくとも米津玄師と肩を並べるレベルでは絶対ないし、3年後に評価されているか怪しいと思う。
11/25
とにかく情緒不安定で仕事にろくにとりかかれなかった日だった。
仕事進んでないのに定時後にプライベートの作業しかしてなかった(それも集中できず)。社会人として普通にそろそろヤバくて。
あと日中顔の肌が少し荒れててつらかった。
情緒不安定の原因はわかっているんだけどもね…。いい方向に進まなくては。
昔の俺は全力で生きてたと思う。
なんであんなに本気で生きていたのかわからないくらい、ものすごい底力でもって生きていたと思う。
今はあらゆることがだるい。何事にも全力を出せない。
こうありたい、という執念はあるんだけどね…
音ゲーもソシャゲとあまり変わらない
音ゲーはマイナースポーツに似てる。
何かを成し遂げるのに必要なこと、それは一時的な高揚や衝動ではなく、持続した熱意に思う。
「何者かになりたい」人間は何者にもなれない。目標が抽象的すぎるから。
流行りものだったり勢いがある人を見て「こういう風になりたい!」って思った時は、その勢いが果たして何年続くものなのかを考えた方がいい。
あと関係ないけど、抽象化して仮説を立ててリスクをとって行動に移す勇気がなく、成功ルートが確約されたコモディティの分野でしか努力できず、何かを茶化すだけの雑魚の行動パターンは似通ってるなぁと思う。