人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

・お金は幸福度を上げるためのわかりやすい指標だが、それが自己目的化してしまうと幸福度の最適点からは離れていたりもする。

そこにエッジがあったりなかったりすると思う。

最近よく見る幸福のポートフォリオ的な考え方はそれを表したものとも言える。

 

…しかし「お金があれば幸せになれるとは限らない」的なセリフは往々にして稼ぐ能力が無い人間のセリフであったりする場合や、痩せ我慢的なケースで叫ばれる場合が多い感じもしてしまう。

・なんか最近のYouTubeである2chスレまとめ系の動画、まぁ業者がたくさんいるだろうけど、なんかああいう雰囲気の動画嫌いになれないんだよなあ。

むかしのたのしいインターネット感というか、2009年頃のインターネットの多幸感が蘇ってくるというか。

論理の限界

・全ての物事は論理や物理法則などから成り立つが(精神や感情を生理学的反応まで分解する前提)、人間それ自体は肉体的制約や物理的制約によって完璧に論理的な存在には決してなれないしそこからは程遠い存在なため、自らの論理性の限界を知り、妥協として"感覚に頼る"ことが必要なケースもそこそこ多い。

昔のワイは完全に感覚で何事も処理する人間だったのだが、数年前からは逆に凝り固まったぎこちない論理性に寄ってしまって、本来生きていく中で用いるべき感覚的な部分が鈍ってしまった。

・最近あれなんだよな。「今の自分がやっていることが数年後に無駄になる」みたいなことについて色々考えてしまう。仕事でシコシコとコードを書くスキルだったり、ネットでなにか作ったりとか。(どんなものでも部分的にはムダになるだろうけど、程度のお話。その大部分が、数年後や10年後に必要なくなるだろう、みたいな仕事や創作をしたくないという話。)

機械に代替されない唯一のスキルが「交渉」スキルであると、個人的に好きな作家である瀧本哲史さんは言っているのだが。

鬱状態の脳だと、とにかく物事に優先順位を立ててこなすことが出来なくなる。自分の気力ベースでしか物事をこなすことが出来なくなる。

ADHDモードの脳も優先順位付けは出来てなかったりするケースは結構あるが、それでも特定分野で深く鋭い成果を出すことが出来るため、総量で見ると優先順位付けできてる時と別軸で良い成果を出せてることもままある。という点で、鬱状態とは違う。

・以前から90年代の曲が好きなのですが、最近またそういった曲をよく聴いてます。スピッツ槇原敬之小田和正、ZONEなど。最近の流行り曲は米津玄師以外微妙ですね。夜がなんたらとか色々。

音ゲーしてる人間、「自分は〇〇が出来るんだぜ」をアピールすることが全ての根源にある場合が多い。そういう人間が作る創作物は大体響いてこない。技術アピールしたいだけなんだなというのが臭ってくるから。(一部例外はいるが、Twitterの凡百はそうではない)

音ゲーに限らずTwitterのbioに資格立て並べてるタイプの人間は他者から与えられた枠組みや問題の中でしかアイデンティティを確立できてない点で脆い。往々にしてどうやってその資格が出来たか、どういう人間の意図や過程でその資格が出来たのかの実体的な想像が出来ておらず、あたかも神から与えられたかのように当然の原理として資格や称号が存在してるかのような勘違いを心のどこかでしており、そこに本質的な頭の悪さが潜んでいる。

 

・他人の成功に自分を仮託することほど気持ちの悪いことはない。

仕事が中途半端

今日は久しぶりに出社したのだが、かなり精神が疲弊してしまった…。

自分は通常の人間に比べて何倍も神経質な人間なので、外に出るのが人一倍疲れるのは仕方ない。

しかし家に引きこもっていてもその神経質度合いが悪化するだけという…。適度に出社すべきだと頭では理解しているが、一日出社すると神経質に起因するストレスでだいぶ精神が削れて、それだけで鬱落ちし希死念慮の沼に陥りやすい。

仕事において上流工程に携わろうと思ったら(≒単価を上げる)一人でシコシコとコードを書く的な閉じこもった方向性に行くことは許されず、人間とコミュニケーションをとって本質的な問題解決を行わなければならない。しかし、人が多い場所にいることにストレスを抱える今の自分の精神状態ではそれは適さず、従ってこの先の仕事においてかなりの障害になるだろう。

 

(…約10年前、中学3年の頃から徐々にその傾向が生じ始めたように思う)

 

一人でコードを書いていたい、と思ってしまう人は、なんらかの精神疾患を抱えてたり他人とのコミュニケーションになんらかのトラウマを抱えている人が少なくないのではないか。

 

精神疾患を自覚しながら、それを理性的に改善するアクションを起こさないのは、数日前の記事でも言及したとおり未だに自分の中に「鬱病である自分” を肯定してしまっている」心理が巣食っている側面があるからだと思う。

とにかく精神疾患のなんらかの改善をしない限り、人生の全体的な幸福は訪れることはなく、慢性的苦痛とそこからの一時的な逃避を一生繰り返すことになる。

 

…職場に関して言うと、平均的な職場に比べれば人間関係に(表面的には)問題がないとは思うし、会社の人に特に嫌いな人とかはいないが、肝心の仕事自体にコミットする気力があまり湧かない。(あと給与が結構低め。自分が成果出してないのが悪いのだが)

仕事に集中できない

気力が湧かないと言ったが、仕事内容それ自体は本質的にはそこまで苦痛ではないし「仕事をする以外に人生を改善する方法はない」という状況であれば普通にその仕事に打ち込むと思う。

しかし今、プライベートでとあるプロダクトの開発を行っており、だいぶそれにマインドシェアが持っていかれてしまっている。仕事する時間があったらそれに人生のほとんどの時間を投入したいという、社会不適合の考えが湧き上がってしまう。

両方を中途半端にするくらいだったら、いったん仕事を辞めてその開発に集中するという選択を取った方がいいまである。が、そこまでのリスクを取れない。簡単に再就職できるほどの実力が恐らく今の自分にないというのが大きな要因。

(再就職を検討するときに、そのプロダクトをポートフォリオとして持っていくことで再就職をしやすくなるとかだったら辞めるのもアリだとは思うが、転職等の面接で重要視されるのはまぁ実務経験>>>>>>個人開発だからなあ)

意思決定がなあなあになっている。

 

就活の段階から、意思決定の精度が死ぬほど荒かったというのが自分の問題だと思う。

なんとなくの雰囲気で挙げた複数の選択肢の中から「目先の楽さ」で選択してしまい、論理的に選択肢を絞り込むプロセスを経なかった。

大学6年の9,10月頃とか、内定出てないのにも関わらず毎晩魔剤飲みながらフォールガイズしてた記憶がある。今のうだつの上がらなさは、目先の快楽を選択した自分への罰という側面も大きい。

 

…立ちっぱなしでかなり足が疲れているので、今日はもう寝る。

鬱病の人間は何も成し遂げられない

鬱病などの精神疾患に陥っている時の生産性は精神が健全な場合に比べて極端に落ちるので、何かを成し遂げたり創り上げたいと思っている場合は、出来るだけはやく鬱状態から抜け出そうとすることが大事だと思う。

(健全な時に取り組むテーマにおいて、鬱状態の脳は質的変化を産まない "作業" に終止してしまう。健全な時に出せる成果が100として、鬱状態だと1桁%どころか、質的変化が必須なケースにおいては0%であるパターンさえ少なくはない。)

…もちろん別ブログにも書いたように「鬱状態でしか作れないもの」は存在するのだが、それは健全な時に手をつけるものとは異質な領域で、サブカルチャーの世界のほんの一部の創作物の域を出ないことが多い。数少ないエネルギーを絞りに絞って、精神を摩耗させてひねり出したような。

2022年1月の雑多メモ

昨日から今日にかけて、頭が異様に働かない。ブレインフォグ的な感覚。何もやる気が起こらない…。ごく簡単なタスクでさえ後回しにしてしまう。

"人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。"

軍魔を超えるMAD/PV製作者とか出てこないだろうと思える。

「トー横キッズもコスメティック田中の動画見てるの意外」という意見があったが、コスメティック田中の視聴者層は恐らくトー横キッズみたいなのも多いと思う。

18-24歳くらいの、学校でのカーストは中-低位に位置し、そこまで頭も見た目も良くなく社会でのし上がっていくよう能力もなく無気力だが、不相応にプライドと視座は高く斜に構えている」タイプの人間。

YouTubeの動画を見ること
・ゲームにハマること
・ソシャゲにハマること

は自分の人生をどんどん不利にしていく。

 

・世間一般で言われるようなイメージの起業、9割以上の人は「普通に会社員していた方がよかった」となるだけだと思うんだよな。

www.youtube.com

撮影地、がっつり高校の時毎日ランニングしてた場所で草。

当時は米津玄師の1stアルバム発売された頃で、それ聞きながらここ走ってたなぁ…懐かしい。

ある物の流行を生み出したいと思った時に、もちろんそれが備えている本質的価値は前提としてあるのだが、それ以上にメディアやプラットフォームによる力が大きいし、人間一人で大きな流行は生み出すことは出来ないため、いかに他者や他人の力を借りるか・利用するかの部分は非常に肝要となる。

努力の記名性

時代に名を残すことの意義について以前から度々考える。

「時代に名を残すことが自分の存在意義である」という考えをしているとすると、では時代に名を残すことが出来なかった人間は存在意義がないのか?と問うてしまう。

当然だがほとんどの人間は時代に名を馳せることもなく死んでいくのだが、その名もなき無数の人間の思考や努力が蓄積し、少しずつ時代が改善しき、人間は進歩している。

そうした人間の支えの上生きている部分があるのに、一部の人間だけが「時代に名を残したい」と考えて、ことさらそうした名を残すためのハック的行動に努力リソースを集中させてしまうのは傲慢ではないかと思う部分がある。

自己中な自分の中のこうした博愛主義的な部分が行動に枷を掛けている部分もあるのだが…

ツイッターの功過

異常に交友関係が狭い自分であっても、今までの人生においてツイッターは新しい出会いを生み出すことが何度かあり、その意味ではいい影響があった。しかし、個人的にはそれを上回るデメリットがあまりに大きかった。

自らの創作を広める手段やビジネスの手段として利用している人などは「新しい出会いを生み出す」以外のメリットがとても大きくあるだろうが、自分はその可能性を活かせるほどの力を持てなかった人生だった。

 

・何かを成し遂げた人間の苦しみを全て背負って、俺が代わりに死んでやれなかったのかなぁ…ということを度々思う。

・学歴のこととか一切口に出さずに多大な功績を残したwowakaさんのことを考えると、エンタメやサブカルの世界に無関係な学歴を持ち込んで自分の名を売るための一助にしようと目論んでる人間の雑魚っぷりが際立つ。

・いくら体がだるくて人生のモチベが無いときでも、脳がちぎれるくらい考えたいし言語化したい。

が、それと同時に、何も考えずに無駄なことをする時間もしっかり持っておきたい。

 

インスタントネガティブ

陰キャ」「コミュ障」「ぼっち」といった単純なカテゴライズに自分を当て嵌めて、何が自分の変えられない性質であるか、良くない性質であればどう改善するべきであるかも考えずに、思考停止するのはいかがなもんだろうかとも思う。

改善のための努力もなく思考停止し、その場の許しを請うために自分を卑下するような気色悪さを、延々と引き摺りつつ、苦しみながら生きていく羽目になるのでは。

 

 

近くにある等身大の幸せから目を背けて、遠くの方にある大きな幸せに向かって必死でもがき苦しんでいる、というのが今の自分の状態だと思う。

幼少期の自分は「等身大の幸せ」を味わいながら、人生の多くの時間を「大きな幸せ」に向かって努力することに割けていたし、夢を実現することも出来た。

今の自分はすべて、その真逆の状態になってしまっている。

承認の歪み

・クリエイター間の格差

・プラットフォーム間の格差

・人脈格差

 

30歳になるまでに死にたいなぁ。

 

孤独に強い人間

「自分は孤独に強い人間だ」というふうに思っていても、仕事や勉強に集中できずYouTube, TwitterなどのSNSを長時間見たり何度も開いたりするタイプの人間は、実のところは孤独に弱くて、孤独を紛らわすためにそうした行動をとっているケースが多いと思う。

消極的に孤独を選択しているだけの人間は弱い。孤独感に苛まれて自分が取り組むべきことに集中できないから、孤独に弱いことを認めて人とつながっている人間よりも不利になる。

 

 

・VRC、現実の肉体なしにVRが存在がしえないことに目を背けて幻想に逃避する欺瞞なのか、それともそれを自覚しながら緩やかに死に向かってるのか、どっちなのかわからんね。

・YOASOBIはかなり過大評価されてるんじゃないかなあと個人的に思ってしまう。。

"夜に駆ける"の歌詞の根底にある自殺肯定の世界観は意識の根底に希死念慮を抱えた令和の若者に受容されるのは自然だと思うし、自分も好きではある。

だが、そもそも元ネタはまったくの別作者による小説であって、YOASOBIが主導で構成してる世界観ではないのではないかと。。

少なくとも米津玄師と肩を並べるレベルでは絶対ないし、3年後に評価されているか怪しいと思う。

 

11/25

とにかく情緒不安定で仕事にろくにとりかかれなかった日だった。

仕事進んでないのに定時後にプライベートの作業しかしてなかった(それも集中できず)。社会人として普通にそろそろヤバくて。

あと日中顔の肌が少し荒れててつらかった。

 

情緒不安定の原因はわかっているんだけどもね…。いい方向に進まなくては。

 

昔の俺は全力で生きてたと思う。

なんであんなに本気で生きていたのかわからないくらい、ものすごい底力でもって生きていたと思う。

 

今はあらゆることがだるい。何事にも全力を出せない。

こうありたい、という執念はあるんだけどね…

 

音ゲーもソシャゲとあまり変わらない

 

音ゲーはマイナースポーツに似てる。

何かを成し遂げるのに必要なこと、それは一時的な高揚や衝動ではなく、持続した熱意に思う。

 

「何者かになりたい」人間は何者にもなれない。目標が抽象的すぎるから。

 

流行りものだったり勢いがある人を見て「こういう風になりたい!」って思った時は、その勢いが果たして何年続くものなのかを考えた方がいい。

あと関係ないけど、抽象化して仮説を立ててリスクをとって行動に移す勇気がなく、成功ルートが確約されたコモディティの分野でしか努力できず、何かを茶化すだけの雑魚の行動パターンは似通ってるなぁと思う。

 

12月思考雑記

個人の時代ではない

・クリエイターが飽和しているのと、消費者の飽きる速度が速くなっている。

クリエイターが一時的な消費物になっている。ここ最近のYouTubeなどで強く感じること…。

長期的に残る価値ってなんだろう、というのを意識しないといけない気がする。難しい問いなんだけどもね。この時代でも昔から根強く人気を獲得しているコンテンツを挙げて、それらを参考にしたりするといいと思う。

・「個人の時代」とは言うけれど、米津玄師はその真逆を行ったことで成功したし、そもそもあまりにも浅すぎるフレーズだと思う。

スケールするためには他人の力を借りることが必要になる。

・のびているYouTuberの多くは頭が良く(≠アカデミックな頭の良さ)、裏側では深い思考をしていると思うが、大衆は思考停止して見られるコンテンツを求めており、そういう大衆に適合したコンテンツを作るために別の自分を演じている、あるいは伝えるべき事柄を捨象している部分がある。

「思考停止して見られるコンテンツ」であることを諒解した上で見ている視聴者がいかほどか、自分が思考停止して見ている状態であることすら把握できないほど脳が死んでいる視聴者がいかほどか、その比率は自分の与り知るところではない。

そして注意するべきは、「大衆に適合したコンテンツを作るために別の自分を演じている、あるいは伝えるべき事柄を捨象する」といった行為に慣れてしまうあまり、自分の普段の思考がそういった態度に侵食されることである。(過去の自分がこうした状態に陥っていた)

・大衆から理解されないタイプの論や文章をこねくり回しを行い、暗に「私はお前達大衆より深い思考をしており、深い思考をしないお前たちの怠惰さは糾弾されるべきである」とでも言いたげなマウントを取るタイプの人間は時折いるが、彼らが「大衆に受け入れられるフォーマットにラッピングする」能力やセンスがないことを誤魔化したいがためにそうした(論理的な繋がりがあるのか、はたまた無秩序で衒学的なのかも不明瞭な)態度を取っているのかそうでないのか、またそうした心理をモチベーションとすることでしか思考や学問に没頭できないほどの脆い人格なのかそうでないのか、不明。

・深い思考やアカデミズムを極めるようとすることで「無思考な大衆と自分とでは魂の位が違う」とでも言わんばかりの人間に自分が懐疑的な理由は、彼らもまた無思考な大衆と同様に動物的で生理的な欲求を備えており、そしてその生理的欲求に貴賤など存在しないものであるから。

ボカロ

面白いインタビュー


変化しない夢

10年前20年前に見ていた夢をバカにする人生、何物にもなれなかった人生なんだろうなと思う。

幼さを後付で正当化するものではない人生の(夢を叶えるだけの)一貫性を持っていたり、あるいは自己分析が出来ており自分が一生持つであろう性質について理解していたら、そのような悪いタイプのブレを持たない。

そうした自分の一貫性のなさを「あの時抱いていた夢は、若さが故の青さだった」のような表現にすり替えて誤魔化すような人間にはなりたくないと思うのだが…。

 

こういうタイプのフィクションは嫌だ

・「登場人物の容姿が良いこと」の前提がないと感動が成立しないタイプの物語

・普遍的な死別ではなく、非現実的な死別によってお涙頂戴するタイプの物語

 


・タイトルとは関係ないが、左ききのエレンとかいう漫画はなんかおっさんの説教漫画という感じがするなあ。意識高い系ビジネスマンしか持ち上げてない印象。なんか作者がやたら目立ちたがってるし立ち振舞もキモい。まだ読んでないから、しっかり読んでから批評したいが(フェイスブックポリスとかいう漫画は死ぬほどわかりづらかった)。

こんな自分でも

今までの人生で、要所要所において、現実世界において気にかけてくれた人がいた。

それにも関わらず、一人で何か取り組もうとして、それに時間を割きたいからというだけの理由で、人間関係の大切さもわからず、煩わしさにばかりフォーカスしてしまって、自分から距離をとってしまう人生だった…。

このタイプの文才が自分にはないのだが、こうしたインモラルな魅力を纏いつつ刺してくるような文章を書いてみたくもある。

というかこの麻布警察署の中身だれだろう。bioに書いているYouTuberがネタなのかガチなのかわからんが…

 

YouTubeの炎上コントロールの難しさ

ナカイド炎上しちゃったかぁ…という感じ。F欄動画の頃から見てたからちょっと残念。

彼は最終的には別にゲームがどうとかは興味なくて「YouTubeを攻略/ハックして数値を得る」ことが動画出す目的だったから、そこが災いした感。

基本的に何かをdisることをコンテンツ化したりそれでアイデンティティを得ようとするのは(シバターとかへずまりゅう並に図太い神経を持ってない限り)長期的には失敗するパターンが多い(ちくわとかは面白いし炎上もしてないから上手くやってるのでは?という風に見えるけど、リアルでは彼女は割と生き辛いのではないかと思われる)。それでも数字稼ぎのためにやるとしたら、実名出さないゆっくり系or演者は外注したりして、炎上したら速攻で使い捨てするのが原則だと思う。

彼のTwitter見ててもYouTube攻略クラスタとかなり絡んでてそこで述べられてる数値(炎上系ハック)ばかり意識が行ってる感あるので、視聴者心理を想像出来てなかった(あるいは無理やり無視してた)部分も大きいのかもしれない。

あとTwitterYouTube攻略クラスタは基本的に属人系のないチャンネルや外注系のチャンネル用のノウハウが述べられてることが多くて、その内容を実写系や個人の人格を絡ませる系のチャンネルに適用すると案外的外れになってるケースもあったりする。

・あと炎上といえばヴァンゆんとかいうのが炎上してるらしい(一回も見たことない)。一般人が短期間で有名になってしまうと、視聴者心理を想像し切ったり自分の行動とか企画を客観視し切るのが難しいケースもあると思うし、正直100万人も視聴者いて一回もああいうタイプの炎上を起こないor炎上をコントロールするのは相当難易度高そうだなあと思った。

その意味だとヒカキンはかなりすごいと思う。

・あとかねこって人も炎上してるんだっけか…。

YouTubeってアルゴリズムに乗ったら動画がのびやすい面はあるけど、炎上した時に、しっかりした善悪の判断基準を持っていない人まで集団心理で炎上に加担する構造と表裏一体感ある。