人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

2021/11/02

・放置してたYouTubeの登録者が200人とか行ってたみたい。

数万再生とか行っても自分の実力ではない動画だと複雑な気分だね…非公開にはしないけども。

なるべく工夫して試行錯誤して自分の人格によって再生を取れるようになりたいが、至難の業。アイデアは山ほどあっても、需要があるものに仕立て上げられるのは一部だったりする。

 

…あとYouTubeだと自分を俯瞰で見るのはすごく大事で、すこし客観視を失うと勘違いした道化にしかならない。

「底辺なのに有名人気取りの日常動画を上げるYouTuber」「魅力的な動画を作るという本質的部分を見失い、一貫性がない小手先の再生数稼ぎテクだけ用いてチマチマした再生数をとり人気になったと勘違いしている、ズレたYouTuber」みたいになってしまうなぁと。

でもこういう考えに囚われすぎて、何も行動ができなくなってる感じもある。

思いつくネタのいろんなものにたいして、「俺がこれを投稿しても、勘違いした道化にしかならないのではないか?」という思考が一々よぎってしまう。実際に投稿して客観視の感覚を少しずつ磨いていくしか無いかもしれないけど。

 

・コスメティック田中のコメ欄にあったこのコメント、自分にも刺さるな…。

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でもこういう脳内妄想を繰り広げているからこそ、真っ当な人間では作れないような狂気的で魅力的なものを生み出せると思ってしまう。

米津玄師とかその圧倒的な例だと思うし。

有名になると一定の割合でこういう人格の欠点を指摘するタイプのコメントがつくことがあるが、有名な人ってどこかしら欠けた部分があることが多いだろうと。特にぼっち系YouTuber周辺なんてもれなく社会不適合な部分があるはず。パーカー、スーツ、田中、ステハゲ、ベテランち、しが数みなそう。ほぼ全員留年やら休学してるし

(どうでもいいけど、ぼっち系YouTuberという概念を用いること自体がもう時代遅れな思考な気がする)

素晴らしい人格と作品の魅力のどっちを取るかと問われたら、後者をとりたくなってしまう。