人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

ネット/サブカル界隈の刹那的な承認欲求について

数年前に何者かであった人が今は何者でもなくなり、数年前に何者でもなかった人が今は何者かになり。

ボカロ界隈

最近のボカロ界隈、界隈に浸からずに傍から上澄みだけを見ている分には、新時代のポジティブな盛り上がりを見せているようにも思われるのだが、再生数格差は10年前よりずっと酷くなっていて、それに落ち込むクリエイターが多いこともまた推察される。(顕著な再生数格差の前兆はカゲロウプロジェクトが出てきたあたりから存在する。)

自分より若い、名前を知らない数多くのボカロP達が数万登録者行っていると凄いなぁと感じられるが、そういう人達の中には、1000万再生超えの最上位層と自分とを比較してしまい辛さを抱えている人も少なくないように見受けられる。

比較から生じるこうした感情はボカロ界隈に限らないことで、その1つとして最近の時代に顕著なのは、短期間で爆発的に有名になる人を見て射幸心を煽られた結果の反動であったり、「なぜ自分はこの人のようになれなかったのだろうか?」といった類の感情を惹起され自分の存在が否定されたかのように感じたり(生きる世界が狭いほど(ネット等にしか居場所がない)、こうした視野狭窄傾向の感情が生じやすい)、といったものだろう。

そうした最近のボカロの再生数、サムネ(+雰囲気のブランディング)で8割決まる感じがある。(今のボカロ視聴者の7~8割程度は女子中高生だと思っているんだけど、実際どうなのだろうか…)

 

サブカルチャー界隈で、年齢を重ねても何者かであり続ける人とはどういった条件を備えているのか考えてみると…

・トレンドに影響されすぎない価値を創作物に内在させる(トレンドは、利用はしても影響はされないこと)
・視聴者ボリュームゾーンの年齢を比較的高めにする(子供騙しのような作品を作らない)

あたりか。

 

時代が過ぎ去って忘れ去られることを厭わず、刹那的に生きるのもまた1つの選択なのかもしれないけども。

椎名もたとimoutoidの自殺