おはこんばんちは。
3月になってしまいましたね。3月は一年のうち一番好きな月です。
来月からまた新しい生活が始まります。
最近は、死んだように生きていた過去を反省して、他者のために生きないとなあと思っています。らしくないセリフですけど、結局それが自分のためになるので。
ところで、このブログには公開していない書きかけの下書きが大量に溜まっているのですが、整理と推敲をすることもなく死蔵したままになっています。
(一定数の方がこのブログをたまに覗きに来てくれるみたいなのですが、いかんせん自分は資本主義の世界で何者といった感じでもなく、従って気合を入れて記事を書いた所で特段の需要がある訳でもなく、という感じでそれらを放置してしまっています。)
以下、推敲もしてない、とりとめのない雑文です。
独りで死ぬ
下の宮台真司の記事は面白い。
「損得勘定で動いていると後悔する」というのがキモ。人間と向き合うことから逃げるとアレになる。
人間、根本に破滅願望みたいなものがあると独りを好む。
そしてその性向を帯びた人間にとって、人間と向き合うことから逃げることを正当化してくれるコンテンツは実に心地よい。その習慣が徐々に心も体も蝕んでいくことに気づかずに…。
人生に意味がなくても、無に還ることがわかっていても、ネガティブにならないのって難しいんだよな。
別にこういったことで悩んでいるのは僕に限った話ではなくて、そこそこの数の思慮深い大人たちは僕と同様に悩んだ期間があって、考え抜いた結果、「人は無に還るだけだけれど、そこで死ぬ必要もなくて、動物や植物が快を求めるのと同様に、人間も幸福を追求するべきである」といったの結論に達している人が多い気がしている。
SNS税
有名税という言葉があって、それはプライバシーだとか誹謗中傷されるのは仕方ないという概念があるが、逆に「有名な人間が一般人に悪影響を与えるケース」があって、凡人を守るための有名税の概念があっても良いんではないかと思っている。
(SNSの時代だと「有名な人間と自分との格差を実感して余計に不幸になる」現象があるから、本当に有名税を導入してしまっても良いんではないだろうか、と感じたりする。極端だけど)
今の時代、昔なら揉み消されていたであろう、スシロー事件みたいなのが一気に拡散されて、そういった表面上の不合理はなくなるのだけど、逆に表に出にくい不合理については余計に格差が広がっていく感覚。
有名な人間だけがどんどん肥えていって、そうでない人間は不幸度を増していく…ネットには規制が必要。
(まぁ、ちゃんとデータを取った訳ではないので、全体の正確な実態はわからないのだけれども)
比較不幸福
Twitterで情報を集めようとすると「役に立つ情報を発信する有能な人」を選択してフォローしがち。「実態はそうでもないのに、SNS上では有能な人ばかりが視界に入ってきて、劣等感にさいなまれる」現象が起こりがちになる。
情報のアビトラ
古典を読めば深さも幅広さも桁違いに充実しているある事柄について、それよりとんでもなく浅い内容をネットサーフィン時の脊髄反射と射幸心を利用してnoteで売るの、情報のアビトラという感じ。
食事
僕は日頃から血糖値スパイクにかなり気を遣っているタイプなのですけど、炭水化物採った日は明らかに調子が出ないんですよね。集中できなくなるというか。運動量が多い人ならまだしも、デスクワーク人間だと尚更。