人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

メンヘラアピール

以前にも書いたかもしれないが、完全な鬱状態で生産したコンテンツはゲテモノでしかないパターンが多い。

鬱状態でなにか生産しようとする時は大抵「鬱状態の自分を誰か助けて」という構ってちゃん心理が発露であり、視線がとにかく自分に向いており、受け取り手の視点に立った推敲や編集ができないから。

そのうえ鬱状態では思考体力もないから、生産するコンテンツが跡切れ跡切れで、断片的なものしか生まれない。一定時間集中して1つの対象に向き合い、深く奥の思考に潜り込む事もできず、永遠に思考が浅瀬を漂い、動物的な感情を垂れ流すことしかできない…。

 

あまり鬱ではない状態で、過去に自分が書いた死や自殺に関する記事を読むと、だいぶ臭みがある。普通の人が、わざわざ読みたいと思わないような死臭が漂っていると思う。

どこか精神をやっている人というのは、ネットにおいても自分と同じような属性の人たちをサーチなりフォローなりしてしまうから、いつの間にか無意識のうちに「世の中の割と多くの人間が、自分と同じように憂鬱さを抱えているのではないか?」という勘違いをしてしまう。

世の中の8割方の人間は、そうではないだろう。(大なり小なり、部分的なつらさは抱えているかもしれないが)

 

今と同じように希死念慮を抱え始めた大学一年の頃に、Twitterのリア垢でやたらと「人生終了」とか呟いていた時期があったのだが、だいぶ頭のおかしい振る舞いをしてしまっていたなと。

今更、反省するには遅すぎるのだけども。