人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

固執

特定の誰かをdisりたいわけではないのだけど、医師になるためにわざわざ東大理三を受けようと思ってしまう人間は、多かれ少なかれ心の中にルシファーを飼っている部分があるんじゃないか?と感じる。

同期に負けたと思われたくないから理三を受けざるを得ない心理のような。他の医学部に受かってもなお浪人してまで理三を受けるとなると、いよいよ受験が自己目的化している。

知り合いの中でも、理三に十分合格する実力で理一に行った人は何人かいて、その人達は見栄とか衒学の雰囲気を感じなかった。

人生の満足度と学歴にはある程度の相関はあるんだろうけど、「学歴で勝たないと幸せになれない」「この道で勝てなければ生きている意味がない」など、特定パラメータに依存して自分の人生の幸福が決まると思っている人は不幸なんだろうと思う。

学歴に限らず、特定の趣味だけに時間を割く人間、興味の幅が狭い人間もそう。似たような類の視野狭窄に陥りがち。

 

自分の将来が見えない。将来が見えない自分も、他者に定義された社会の中を明確なビジョン無く、自分の狭い興味範囲に従って生きてきた感じがある。

体が縛られている感覚がある。どこにも行けない。過去の固執が、靴の裏に付いて取れないガムのようにへばり付いている。雁字搦めになって、人間として果たすべき義務を果たしてこれない人生だった気がする。

早く引っ越したい。引っ越さないと人生が好転しない感触がある。

 

それにしても、今週は疲れた。

昔の自分はこんなに疲れを感じやすかっただろうか。

おそらく日々の生活に癒やしがないか、あったとしても癒やしを感じることが出来ない脳になっているからだろう。昔は癒やしがあったし、鈍感さによって疲れを感じづらくもあった。

断続的になにかモノを食ってしまってるから疲れてる感じもあるし、胃を休めた方がいいかもしれない。