人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

2月上旬よも

 

同じ話

わかりやすく提示されたマニュアルに沿ったり、ネットで特定の誰かを目指す方向に行くのは、不確実な道を模索しなければならないストレスを回避したくてそうなってしまうんだろう、と思う。

わかりやすく提示されたマニュアルを見かけたら「そのマニュアルに群がる競合がどの程度いるか」「自分の適性がどの程度あるか、どの程度長期的に続くか」あたりを考えないといけない。気がする。抽象的だね。

変わらない

ふと2年近く前の文章を読み返してみたのだけど、当時と今の文体があまり変わらないことに気付いた。

ただ、鬱病度でいうと今と比べ当時の方がかなり強かった。今は特に自殺をしようとか思っている訳ではないので、重度の鬱とかではないとは思う(とはいえ、生きることに意味がないという考えに変わりはない)

ともかく、ブログとして文章に書き起こして誰かに読んでもらうには、当時の文章は鬱成分が強すぎた。もう少しユーモアがあってもよかったのではないかと思うが、ただひたすら自分の苦痛にしか目が向かないほどに余裕がなかった。24時間極度の緊張と不安の中で過ごしている人間に、他者貢献しろだと?ふざけんなよ、と言い返すしかない精神状態。

僕のような環境で重度の鬱にならない方がおかしい、そんな生き方をしていたし、仕方ないとも思ったりはする。誰も僕を愛すことなく、孤独と苦痛からの一時的な逃避のために魔剤を飲んで血糖値スパイクを起こし、鬱病のスパイラル…。アルコールでなかっただけ、いくぶんかマシだとは思うけれども。

 

去年の後半あたりから意識的にいろいろな場所に顔を出してみたりすることが増えたのはよいが、核の部分での孤独はまだまだ緩和されていないように思う。物理的/肉体的に何か大きな変化が起こらない限り、ここから劇的に変わっていくのは難しいのだと思う。

筋トレでもしてムキムキになってみるか?でも、そうした男らしさみたいなものが昔から好きではないのだよなあ。

ムキムキ米津の腕”になれる、「KICK BACK」のカメラエフェクト - 音楽ナタリー

バンド

phaさんはバンドをやっているらしいけど、このバンドはなんとなく"おじさんニート版結束バンド"という感じがしていい。phaさん以外のメンバーのことはよく知らないので、ニートかどうなのかわからないのだけど(失礼)。

僕は昔からなんでも一人でやりたがってしまうタチなので、バンドをやってる自分とかは全く想像できなくて、高校の頃も一人でニコニコにボカロ曲を投稿したりしてた。

しかしそういう煩わしさの伴う人間関係から逃げてると、いつかツケが回ってくるんだな、ということを最近になって実感しはじめている哀しさ。

 

人間は真に孤独では生きられないと思うのですが、孤独はAIで癒やすことは出来るんでしょうか、、?