人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

7月近況

ここ最近ブログが更新できていない。

 

ここ1週間ほどの精神状態は、そこまで悪くはない。

生活リズムを安定させ、食事に(多少は)気を遣い、太陽光を浴び、運動をするようにしたからだろうか。

5月~6月中旬までのように、「畢竟、人間が生きている意味は一切ないよな」という結論にしか到達せず、常に死を考えるような精神状態ではなくなっている。

 

(…とはいっても、ロジック上は人生に意味はないという結論に変わりはないのだが、自分の動物的本能は死を希求しているような状態ではなくなってしまっている。これが10代の頃の自分のデフォルト状態であり、さらに一般の人間は全く死を考えないということを思うと、昔の自分や一般の人間はみな軽い躁状態なのではないかとまで思ってしまう程だ。実際はそうではなく、ハタチになってからの自分が常にずっと軽い鬱状態だっただけなのだろうけども。)

 

ブログを更新していなかったのは、特段報告することもないかなと思ったから。最近は個人開発にハマっていて、シコシコとツールを作っていたりする。あと音ゲーを少しプレーしたり。

 

鬱に近い状態だと、やたらと内的で観念的で個人的な文章を綴りたくなる。

その類の文章は、同じような精神状態の人間、鬱っぽい精神状態の人間からは共感されやすく、「こういった文章こそが世界の真理だ」という感じで読んでもらえることすらある。

けど普通の精神状態の人間からすると、そういった雰囲気をまとっている文章は「読むのダルいし生産的で楽しいことに時間を使いたい」という感想を持たれることが多い、というのが実際のところだろう。

そういう小難しい文章が誰かの需要と存在していること自体に、軽いストレスを持たれることもすらあると思う。学校の図書室に置いてある難解な哲学書が、あたかもそれを読まなければ真に人間としての義務を全うできない、とでも言いたげな顔でそこに佇んでいるのにも似たような。

 

現実世界を生きるモードになると、実用的でもなく、お金に繋がる訳でもないようなそうした内的な文章を生成することに時間を割くのは、資本を増やす機会の損失に繋がると考えるようになってしまい、自分の中で相対的に優先度が下がる。

 

そんな感じで、更新が疎かになっていた。

 

まぁ、このブログを見に来る人自体、かなり限定的なクラスターに属する人間な気がしているし、そこまで更新する必要を感じない、というのが正直なところなのだが。