似非
今の自分は偽りの姿で生きているという感覚が強い。
「誇張や見栄や錯覚資産を多用しても、おおよそリスクとリターンを計算し切って整合性を取ってうまく生きていける」と思っていたが、そんなに都合よく行く筈もなく。
そんな器用なことが出来ていたら、最初から人生が転けることもなかったんだよな。
人一人に対して長期の関係を構築することが出来ない。そうした偽りの感覚の上で行きているから。そして、コスパ主義に陥ってて、人と一緒に居ることに幸せを感じることが出来ていないから。
"数字" によってもたらされるドーパミンにばかり喜びを見出す悪癖が抜けていない。表層的な行為によって短期的に報酬系を働かせるテクニックは、自分をコントロールする手段としては役に立つ場面も多々あるのだけれど、人生の深い部分にまでそのテクニックを持ち込むのは良くないと感じる。
人間の生を肯定するのであれば、人生の目的は人との繋がりや感傷にあると思う。他人への皮肉ではない。皮肉や見下しによる優越感を味わう行為は、一過性のものであるべきで、人生の目的に置くべきものではない。
俺は今まで、恐らくは軽度の発達障害から来るものなのだろうけど、他人の気持ちを想像することから逃げて自分の殻に閉じこもってきた。表層的な人間関係、表層的な会話はしても、その先の深い人間関係の構築まで至ることが出来ない。
怒りに任せて泣き喚いたり、熱意をぶつけてきた、感情のままに生きることが出来ていた幼少期の自分と今の自分とでは、ひたすら悪い意味で、全くの別人のように思える。
(ただ、年齢を重ねた分、メタ認知能力はついてきたと感じる。自分の精神や肉体がどういう性質で、どこに自分の上限が存在するのかを理解させられている。精神面で気色の悪い幼さが少しずつ剥がれている感覚もある。)
生きるために用いなければいけない嘘はあるけど、本来の目的を見失ってまで嘘を用い続けてはいけない。
2024/01/16
昨日は仕事から帰ってきた後、疲れて23時から9時まで寝てしまった。
それなのに疲労が抜けない。夜に多く食事を摂ってるからだろうか。
人の多い環境で食事するのが好きではないので、どうしても帰宅後にドカ食い気絶部的なことをやらかしてしまう。
そうして疲れてベッドでウトウトしている間に、先程書いたような考え事をして病んでいた。俺は一人の人間と深い関係を構築することが出来ない。
「あなたは何に楽しみを感じるのか」ということを良く聞かれる。飲み会に行っても、ディズニーランドに行っても楽しそうにしない、そんな俺と一緒に過ごしたい人がいるんだろうか。
偽りの自分だから、感情が劣化していってるんだろうか。
こういうことを頭の中で悩んで、病んでいても、結論は出ない。言葉で書き出すか、人と対話するかして、どう改善するかを考えていかないと、物事は進んでいかない。