人生日記

思いつきの文章を綴っている日記帖

Z世代は弱い?

数年前、Z世代という単語が出始めた頃は藤井聡太とかがその代表例として注目されていて、なんか凄い世代が出てきたな感があったけど、ここ2~3年ほどで「Z世代は使えない」「Z世代は打たれ弱い」的な指摘を目にすることが増えてきた感じがする。

これは単純に昔からある「最近の若者は駄目だ」的な指摘に過ぎなくてZ世代の一部分しか見ていない指摘なのか、はたまたZ世代を古今東西どこの時代に転生させてもどの特徴を切り取っても(当時の同世代と比べて)絶対的に使えなくなってるのか、正確なところはわからん。

あまり現実でZ世代と関わることがないけれど、二極化しているのかな、と思う。Z世代のエンジニアは優秀な人が多い印象だけど、SNSで虚勢を張るスキルが一丁前で実質的な価値を生み出してないZ世代も多いのかもしれない。

 

Z世代が弱いと言われる原因を考えてみると以下が挙げられる。

  • SNSの刹那的ないいね数に毒されて等身大の現実を生きるモチベーションが弱まった
  • 断片的な情報に踊らされて一貫性のある努力が出来なくなった
  • ネットの影響で理不尽に対する免疫がなくなったり言い訳がしやすくなった

SNSの刹那的ないいね数に毒されて現実を生きる力が弱くなった

いいね数の獲得が生き甲斐になってしまう。

これは完全に想像だけれど、たとえば女子高校生であれば、同じクラスメートのかわいい一軍女子がTikTokで万バズしてたりすると、SNSの露出機会が全くないタイプの三軍女子は切なさとか苦しみとかを覚えると思う。

真面目で地道な努力を行うことに対して「なんでこんなことをしているんだろう」感が強くなってしまうどころか、苦痛すら覚えてしまう。

また男であれば「裏技探して一発逆転して後は人生逃げ切り」のような道を探してしまうアフィリエイトやアド運用のようなダークな商売であっても、一旦資本家成りしてしまえば逃げ切れるといえば逃げ切れる。そうならずに破滅する層が9割以上だとは思うが)。まあどの時代にもこういう属性の人がいたとは思うけど、その割合が増えてる。肌感覚的に。

 

「若さ」を過大評価している節もある気がする。「既得権益にしがみついて努力しない老害」が批判されているから、自分たちは若いだけで許される、価値がある的な(その思想が「既得権益にしがみついて努力しない老害」と一緒なのにも関わらず)

ルッキズムもそれに加担している。過剰なルッキズムは若さの切り売りに繋がるとも思う。刹那的なエイジズムだなと思う。

処方箋

達観した老人は、別に自分にまつわることがツイッターとかでバズってようがあまり気にしていない印象がある。過去にもおそらく「一時的に流行っただけのもの」を経験していて、SNSのいいね数もそれに過ぎない(SNSのバズは虚構の割合が多い)とわかっているからだと思う。SNSのいいねはあの世に持っていけない的な感覚も備えていると思う。

SNSのいいね数はインフレしやすく価値が下がりやすいから、思い出作りや資本づくりなど、インフレしづらい数値の獲得に重きを置く」意識を持つ。

断片的な情報に踊らされて一貫性のある努力が出来なくなった

ネットはその性質上、情報が断片的になりやすい。一日の時間のうち、ネットに浸かっている割合が大きいと、「一貫性のある努力」をする習慣が身につきづらい。

(そしてADHDASD人間とネットの相性は(使い方によっては超強力にもなるが)基本的には悪い。自分がADHD/ASD人間だという自覚がある場合、ネットとの付き合い方はかなり工夫した上で気を払わないといけない)

処方箋

物理的に存在する本を一冊用意して、それを日常的に消化する習慣をつける。思いつきで分厚い資格の本を買うとかではなく、少しは自己分析した上で、自分の人生の目的から逆算して考えて、それに合致するものを日々消化する。kindle本とかではなく、物理的に存在する本を買うことが大事

ネットの影響で理不尽に対する免疫がなくなったり言い訳がしやすくなった

Z世代には「いざとなったら死ねばいい」的な思想を持っている子も増えている気がしている。

以前も記事にしたが、トー横キッズは「25歳まで生きているつもりはありません」みたいなことを言ってたりする。

verbalisierung.hatenablog.jp

ボカロでダークな世界観が流行したのもその表れだと思う。

 

 

自分はZ世代というよりゆとり世代に属するが、両方の悪いところを兼ね備えた人間になっている部分がある。脱却してきたい。